忘れたくないものメモ

アイドルのこと ラブレターないしは墓場

推しのかいてくれたブログがうれしかった

それはたくさん会いたくなる事
それはお手紙をしたためる事
それはたくさんお友達に広める事
それは同じ髪型にする事
それは素敵な絵をえがく事
それは同じ香りになる事
それは一緒になって踊る事
それは歌詞を読んで涙する事
それは考えを一つにする事
それはじっと目を見つめる事
それは目を見て話せなくなっちゃう事
それは同じ衣を身にまとう事
それは心が通じあえる事

みなさんが、たくさんの愛の表現をしてくれて
たくさんの色んな形の愛を貰えて
私は、私たちは、幸せ者です。


わたしはアイドルオタクで、推させていただいているアイドルの方がいるのですが、その人が書いてくれたブログを読んで、とってもとってもうれしい気持ちになって、その気持ちを記しておきたくなったので、ブログとして残しておこうと思います。



アイドルオタクとして生きはじめてはや数年が経ちますが、いまだ、アイドルとファンの関係というものはふしぎだなと思います。これはもしかすると、アイドルとファンの関係を外側から見ている人たち(とくに、いわゆるオタクの素養?素質?みたいなものが生まれたときからない人たち)のほうがふしぎに思えているのかもしれないのですが、おそらくわたし、というよりわれわれはそれよりも複雑な味わいのふしぎとしてふしぎがっているのではないか?と思っています(主語がおおきくてすみません!)。

緊張してしまうとか、頭の回転が悪いとか、さまざまな要因があるのですが、わたしは人とおしゃべりをするのが不得手で、そのせいもあってかよくお手紙を書きます。これは対アイドルにもおなじ(というよりも、いちばんは対アイドル)で、伝えきれなかった気持ちをお手紙にしたり、ツイッターでつぶやいたりとか、そういうふうな気持ちの伝えかたをよくします。これは好きのキャッチボールをしたい、という気持ちからではなく、どちらかといえばドッチボールで、返してくれなくてもいいです、というか、返せないのはわかってるのですが、どうしてもわかってほしいです、というか、わかってくれなくても大丈夫なので受け取ってほしいです、いや受け取らなくても大丈夫なんですが、ごめんなさい、ごめんなさい、みたいな、そういうかんじです。アイドルへ届けられるファンの気持ちはいつでもひとりよがりで、なんだか雨乞いの儀式のようだなあとか、マジックミラーみたいだなあとか、そういうことを思って、いつも申し訳なくなります。

アイドルからのお手紙のおへんじというものは永久に届きません。神さまなので。それが悲しいとかつらいなあとか不満ということは一切なく、むしろ逆で、その子が届けてくれる歌、ダンス、生きている表情、パフォーマンスのすべて、ステージのきらめきにいつだって人生を救われて、その子が伝えてくれた言葉、なにげなく発信してくれた言葉、それをもらったときの気持ちがこれから生きていくための一生のお守りになって、その子が好きだと言っていたたべものや景色、お洋服、空気とか、季節とか、そういうものひとつひとつ宝物になって、それを見かけるたびにうれしくなったり、それにふれるたびにしあわせになったりして、はれの日ではない日常もぴかぴかにきらめいて、その子が笑うだけで、しあわせそうにしているだけで胸がいっぱいになって、もうしんでもいい、って思えて、かえがたい光に満ち満ちた日々をもらっています。たくさんたくさんもらいすぎていて、わたしたちにはどんなにお金を払っても、時間をつかっても、好きです、と伝えても、返しきれるものではないと感じてしまい、いつも悲しくなります。それでもアイドルは、応援は想像以上に力になっているんだよ、と伝えてくれて、力になれているんだ!と報われたような気持ちになる反面、でもやっぱり、という気持ちもあります。



わたしの推しはそれはまあきれいな人で、その「きれい」というのは外見ももちろんなのですが、自らの信じるうつくしさやアイドルとしてのビジョンが自分のなかにしっかりとあり(いちファンとしてはそう見えています!)、それを叶えようとする姿、その気持ちがとてもきれいな人だと思っていて、その気持ちは、わたし個人としてなんですが、書かれる文章のなかにいちばんに凝縮されているように思えます。冒頭に引用した文章は推しがブログに書いてくれた文章なのですが、この一節で、わたしが言っている「きれい」の意味は伝わるんじゃないかと思えるくらいにあたたかい気持ちで、はじめて読んだときも、いまあらためて読んだときも新鮮にうれしくて涙がでました。おそらくこれからも。

アイドルへ届けられるファンの気持ちはいつでもひとりよがりで、それは一生懸命でまぶしくて、でもやっぱり自分勝手で、グロテスクにみえます(これはイメージの話なのですが、学生時代、授業の一環?として胎児の映像をおおきなスクリーンでみたときのこととか、鶏のたまごを孵化しないところまであたためて育てて、それを解剖してスケッチしたこととか、そういうなまなましい記憶みたいなものと結びつきます)。まわりから見ても自分から見てもきもちわるいと思えてしまうような、一種の呪いのようにも思えてしまうような、自分でもその気持ちがなんなのかわからなくなってしまったぐにゃぐにゃのなにかを、わたしの推しは「愛の表現」と呼んでくれて、「色んな形の愛」だと言ってくれて、さらにはそれをもらうことが「幸せ」だと伝えてくれて、それって、なんてすごいことなんだろうか。この気持ちに愛って名前をつけてくれること、なんてすごいことなんだろうか。もうねえ、お母さんみたいなものじゃないですか。すべての愛の母。そしてなにより、いろいろな人間のいろいろなかたちの愛を受け止めることって、きっとしあわせだけじゃなくしんどいこともあって、それでもこうやって受け止めてくれること、愛と呼んでくれること、しあわせだ、と言葉にしてくれること、それこそがいちばんの愛です。この人の愛によって、わたしたちのぐにゃぐにゃは愛として生まれることができます。なんていうことなんだろうか。わたしはね、ほんとうにびっくりしました!こうやってアイドルはいともたやすく人を救ってしまう。この人が愛という名前をつけてくれるんだったら、わたしのこのいびつな気持ちも捨てたものではないな、というか、大切にしなきゃいけないな、って報われてしまったのです。

それともうひとつ、わたしはこのブログを読んで、なんだかお手紙みたいだな、と思いました。この人が言葉にして伝えてくれた「それ」は、きっとだれかを好きでいる人であったらわかる、と思える気持ちであって、わたし自身も、この人にしたためたお手紙のことや、お伝えした気持ちのこと、伝えられなかった気持ちのこと、手をつないでくださったこと、会いたいなあと思ったこと、たくさんのやさしい記憶のことを思いました。アイドルという立場上、ブログという媒体上、ひとりひとりへのメッセージを届けるということはどうしてもできないのですが、きっと誰しもが「それ」に自らの気持ちや思い出を重ねることで、ひとりひとりへのお手紙になりうるのだと思いました。そういった言葉をつむいでくれるこの人のやさしい気持ちは、この人を推している人たち、好きでいる人たちを救うのはもちろん、この人をしらない人たちを救うのではないかな、だれかのことを推している人たち、だれかの星である人がこういうかたちで好きを大切にしてくれている姿ってすごく救いに思えるのではないか、と思います。わたしのきれいな人の愛がたくさんたくさん届いてくれたらいいなあ。



わたしはステージに立つアイドルのきらめきをなによりも信じていて、なによりも愛しているから、推しと推しのいるグループ、大好きな人たちが「わたしたちはアイドルだから、どんなにつらいときや大変なときも直接支えることはできないし声をかけることはできない、歌やダンスを届けることしかできないけど、そのぶん気持ちを乗せて届ける」と伝えてくださったこと、そういう気持ちでいてくれること、なによりもうれしいです。大好きなアイドルがアイドルとして生きることを大切にしてくれること、ステージに立って歌って踊ってくれること、それを目にすることができるのがわたしにとってなによりも救いだから。でも、ステージとはまたちがった、ブログという特別なかたちで大切な気持ちを文字にして伝えてくれること、ほんとうにほんとうにありがとう、の気持ちしかありません。大好きな人の大好きな言葉が、これからのわたしの人生をずっと照らしてくれます。

これからも、いちファンとしてなにも返せないという気持ちは忘れないままで、なにかを返せているという実感を、大好きな人のしあわせのほんのひとかけらになれている実感を大切に大切にしながら、愛に報いることができるよう愛を届けていけたら と思います。そして、わたしのきれいな人へ降りそそぐたくさんの気持ちが、しあわせ!と思える愛ばかりでありますように、ぴかぴかに輝く祝福ばかりでありますように!祈祈祈!

明日もきっと幸せな日!


lin.ee